『ドーン・オブ・ザ・デッド』ウィルス感染の恐怖の中で、今見てもらうべき映画

ちょうど東京から広島に戻ってきたのは、今年の1月半ば。ウィルスの話は、ちょうどその頃テレビで「中国で何やら新しいウィルスが出たらしい」という話が初めて出たころだったと記憶している。

しがない何でも屋ライターとして活躍してきた東京での生活を、あるきっかけで実家の広島に戻ることを決意し帰郷した。

当然マスコミという立場は関東方面ほど発達していないこちらでは、厳しいところだ。少ないメディアに問い合わせ、随分と邪険に扱われて悔しい思いもした。

仕事という面では不遇の時になるだろうと覚悟していたが、この3か月であれよあれよと感染は広がり、関東方面は目も当てられない状況に。



人によっては「あなた、相当ツイてましたね」と言ってくれるのだが、ライターを目指して8年、相当に貯えも食いつぶしてしんどい思いをし、さらにライターという職業が厳しくなるのに、私はどこがツイているのだ?といつも心の中でつぶやいている。

ただ、こうして全く違った環境で自身の生活をリスタートするのだから、仕事の内容まで含めてもう一度見つめ直せる機会であるともいえるのかもしれない。

なんとか仕事を模索しながら、こうして空いた時間にはブログなどを書いている。

今は感染が朱即するまでに、何らかの糸口が見つけられればいいなと、毎日さまざまな思いを心に巡らせて過ごしている。


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このコロナ騒動の中、映画関連のメディアでは”こういう時、どんな映画を進めるべきか”なんて話が出ており、そこでは『コンティジョン』『アウトブレイク』などの感染パニック系映画のタイトルが進められている。

この前、NHKの朝のバラエティ「あさイチ」ではおススメの小説などが紹介され、やはり小松左京の『復活の日』なんぞが挙げられた。

果たして皆さんは、こういう作品を見たいと思うのだろうか。いや、確かにいるかもしれない。ウィルス感染拡大のパニックというものがどういうものか、そういうシミュレートを知っておくというのは大切なことかもしれない。

ただ、自分的には非常に「見たくない」映画なのである。感染で病状が悪化、そして死に至る過程を見るなど、そんな不安をあおるような作品を今見る必要があるのだろうか?

どうせならそんなものは、こういうパニックが起こる前に見て認識して備える成り、覚悟を決める成りしておくべきものではないだろうか。私はそう思う。

むしろ見るべきは、今回紹介するこの『ドーン・オブ・ザ・デッド』ではないだろうかと思う。徐々に増えていくゾンビたち。これはまさに感染で苦しむ人たち。

一方でまだ自分の意識を保持している、“生きている人たち”は、この状況に対してみな言い争いをする。ヘリで都会を逃げ出したスティーブンたち。

ふと見つけたショッピングモールの最上階にたどり着いた彼らの中で、一息つきながらスティーブンは嘆く「みんなが力を合わせれば、この状況を防げたはずなのに」

いまこの国、そして世界の状況はまさにこの状況にピッタリではないだろうか。日本国内でも、海外の国と国同士、あるいはWHOみたいな組織と国との争いまで、見をそむけたくなるような酷い様相がそこにはある。


ジョージ・A・ロメロが生み出したこの『ドーン・オブ・ザ・デッド』はホラージャンルの映画、それもゾンビ映画の中でも偉大なる金字塔として、伝説的な一本として今も語り継がれている。

当時まだホラー映画というもの自体が少なく、メイクや特殊効果自体の技術もまだ黎明期にあり、今見れば粗も見えるこの映画が、公開当時には「非常に恐ろしい映画」という印象があった。

一方、そんな表面的な面構えは、今自分の中ではすっかりはがれてしまったが、自分にとってこの作品は、別の強い印象を放ち続け、今も折に触れて手にしてしまうパッケージとなっている。

それはまさしくこういった状況を、まるで予測していたかのような物語の作り方、バックグラウンドの、先進的な作品の作り方がずっと、作品の揺るがぬ魅力として残っているからだ。

この作品は、今見ても自分の思いをさまざまにかき乱し、ぬるま湯につかってボーっとしていた私の頭を、何かの思いにふける頭に変えてくれるのだ。


ちなみにこの『ドーン・オブ・ザ・デッド』だが、ディレクターカット版や公開版、音楽監修をダリオ・アルジェントが行った版などさまざまがあるが、私は個人的に音楽は、ダリオ・アルジェントが入っていないものが好みだ。

この違い、ダリオ・アルジェント版は割とハードなロックを入れたり、ホラー/バイオレンス的な音楽にしてあり、こちらは“王道”的。

しかしそうでないものは何故か音楽がかなりポップなもので、ショッキングなシーンでフッと力の抜けるような音楽を流したり、最後のピーターが脱出するときには『特攻野郎Aチーム』でも出て来そうな勇ましいマーチが流れるなど、見ていると「あれ?」と思える部分があちこちにある。

そのシーンを改めて見ると、この作品はコメディ、風刺なのだと改めて感じられるのだ。その意味でこの版は非常に趣深さを感じる。

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