ここまで外出を制限されると、さすがに皆うんざりという感じだろう。家でやることもなくストレスが溜まっているという人も少なくはあるまい。
一方、この状況でみんな何をやっているかというと、配信で映画を見ているという人も少なくないようだ。
Netflixはこの現在の状況で軒並み好調を記録しているようで、家ではずっとテレビやパソコンの画面で映画を楽しんでいる人も多くいるようだ。
そんな中で心配になってくるのが「飽きた」という声。さすがに一日に一本、二本と増えてくると、なかなか映画が日常にない人からすると飽きるのも無理はないだろう。そういった環境に慣れていないのだから。
一方で、これだけ映画を見ているのだからと「こういうときに作品の面白さ、面白く無さというものが見えてくるのかも」と認識している人もいるようだ。
これは完全にそうとは言い切れないし、ある意味危機的な状況ともいえる。本来見てもらうべき映像が担保できているかどうかは不明であるにもかかわらず、作品に対してそういったあいまいな評価をされてしまうからだ。
つまりは「映画館で見るのと、DVDをテレビやPCで見るのとは、作品が全く違って見える」ある意味その差異を全くないものとされている、ということである。
「どう違うの?」と聞かれたときに、にわかの映画ファンだと「あの映画館ならではの雰囲気がいいんだよ」と知ったような口をきく人もいる。かくいう私も、正直そんな一面を持っていることは否めないが…
一方で、絶対的な違いもある。例えば単純に投影される映像自体で結構な差が見られる。
業務用のプロジェクターはやはり高性能で、例えば業務用プロジェクターメーカーであるクリスティ・デジタル・システムズの製品でハイクラスのCP4230 という機種は4K(4096×2160ピクセル)対応、色再現性は35.2兆色という、家庭用機器では歯が立たないような途方もないスペックだ。
またプロジェクターの性能として一番重要な明るさという面では、34,000ルーメンという、家庭用プロジェクターとは桁が違う明るさを実現している。
一方でやはり映像の投影の仕方という面では方法が全く異なるため、そもそも両方式の画を同一のものとみなすことは本来誤っている。
解像度という面では、PCやテレビでも4Kを実現できる機種は増えているが、映像の大きさの差異はやはり埋められない。
こんなエピソードがあった。昨年頭に『あまのがわ』という邦画が上映、一昨年末にその試写に出向いたときのことだった。
鑑賞後に宣伝の方からどうでした?とたずねられたので、おちゃらけて「ゴンが気になってしょうがなかった」と答えた。
(C)映画「あまのがわ」製作委員会
ゴンとはサッカー元日本代表選手の中山雅史のこと。実は本作、カメオ出演的に中山が出演を果たしているのだ。
ところがその答えに宣伝の方は「え?出てました?」と疑問。聞いてみると実は宣伝の方、DVDでしか映像を確認していなかったらしい。
あとでDVDを貸してもらえるということで確認したところ、確かに試写では確認できたシーンで、中山の顔はパッと流れてしまいよくわからなかったのだ。
また別の映画では、全般的に暗い映画であったが、光のダイナミクス、明るさと色の範囲の違いもあってDVD鑑賞では完全に影になって見えなかった人の表情が、試写で見るとフッと笑っているのがちゃんと認識でき、そのシーン自体に、DVDで見たときには感じなかったゾクッとした印象をおぼえたこともある。
家庭用の機材も徐々に高性能化は進んでいるものの、やはり現状かなり高水準の映像を大きな画面に映し出す業務用のプロジェクターと、お手軽な家庭用機器ではあまりにも差があり過ぎるのだ。
また大きさという面は、観覧者の認識、意識にも大きく影響する。
小さい画像で、周りにさまざまなものが置いてある環境では、どうしても映像に対する認識が薄くなってしまう。
映画館のスクリーンを想像してみればわかるが、大概は大きなスクリーンの周りには何も置いてなく、黒いカーテンを敷いているところも多い。
家庭用のスクリーンでは、わりと光が反射してしまうため投影時に周りにモノがあると、そのものに光が当たり、そういったものに対しての観覧者の意識が取られてしまう。
そういったことを踏まえると、映画はやはり映画館で見ることが前提、映画館で見る映像が製作者の意図を一番受け入れられるものとなっているのであり、単純に「映画館で見れなかった~DVD出るからいいか~」ということにはならない。やはり損をしているのである。
ただ、例えば現状のこういった環境から、こういった映像ビジネスで配信の占める割合は大きくなり、「配信を前提とした映像づくり」という指標は進んでいく可能性もある。
それでもやはり映画館で見る映画の魅力は、ある意味完成されたものであり、DVDなどによる家庭視聴の代替え手段で見られる映像でそのすべてを余すところなく知ることは、現在のところまだできていないという認識はもっていただきたいと考えるところだ。
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