『プーと大人になった僕』人生の傷跡を深く感じた思い出の一ページ

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映画を見ながら、ずっと泣いていた。

ああ、そんなときもあったなと、そんなはずはなかったのに思えていた。


『くまのプーさん』は、小さなころに絵本で見た記憶がある。はちみつが大好きでのんびり屋の小さなクマ。クリストファー・ロビンと大の仲良しで、今日も楽しい事件で美しい思い出を築く、そんな話だったか。


ただはっきりしていたのは、みんなが親友だったこと。誰かがヘマをやらかしても何とかしてやれと、みんなが困った顔をしながらも手を差し伸べてくれたこと。


小さなころから近所の子らにいじめられていた自分には、そんな経験はなかったはずなのに、『くまのプーさん』からそんな体験をしていたのだろうか、と。


そしていつの間にか、大人のクリストファー・ロビンのように、昔を忘れていた。

プーは彼に言った。「わかった。もう友達をやめてもいいよ」って。

クリストファーが戻ってきた思い出の「100エーカーの庭」は、かつての陽気を失っていた。


その様子を見て、思った。もう人には寄り添えない。自分は人に寄り添えないのだと。誰かに寄り添てもあげられないのだから、寄り添ってももらえるはずがない。

ただつまらん人生を歩んできたのだ、と悲しくてしょうがない。


人生を振り返れば、実は大切な友人はあいつだったんだ、とかふと記憶がよみがえる。

もう彼らは今どうしているか?生きているかどうかもわからない。

会いたい。会ってあの時自分に寄り添ってくれたお礼と、寄り添ってやれなかった詫びをしたい。

クリストファー・ロビンには、いつまでもプーがそばにいたが、そういった存在はもう自分には届かない。


時代のせいだとか、いい大人がいい齢をしてとか、言われることはいくらでもあるだろうが、ただ辛くなってしまった、それだけだった。

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映画と音楽。 大きな事件を経るたび、その必要性を問われてきた文化であります。 このサイトでは、私自身が考えるこの文化の必要性を、ニュースなどとともに考えていきたいと思います。

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